Chez Yasmeen - ヤスミンのベリーダンスブログ

東京在住のベリーダンサー、 ヤスミンのブログ。六本木ヒルズ近く、麻布十番のベリーダンススタジオ Chez Yasmeenを運営。各種レッスン・ショー活動ほか、ママのための子連れベリーダンスクラスも開催。ホームページはwww.yasmeen.co.jpへお越し下さい♪

スペインの日々

カイロからエジプトエアーでフランクフルトまで飛び、そこからルフトハンザに乗り換えて向ったのはスペインのバスク地方の首都ビルバオ。

まず、フランクフルト空港で大感動。
これが文明社会だ!
床が砂でじゃりじゃりしないし!
電気がぴかぴかついてるし!
パスポートコントロールのおじさんがにこにこしてるし!

そしてルフトハンザの接客にも感動。
座席に前の乗客が残した飴のかすとか落ちてないし!
CAのみなさんはにこやかだし!
今までANAと比べて細やかさが足りないとか思っててごめんなさいと謝りそうになった。
ちなみに、エジプト航空のCAのお姉さんは美人だったけど化粧が濃いうえにあまりにいつも態度が怒っているようだったので、飛行機を降りる直前にDがうつむいて小さな声で
“なんだかずっと罰せられているみたいだ…”
と言っていたのがかわいそうでもあり、おかしくもあった。
そうそう、あまりに怖すぎて日本語なんて絶対分からないはずなのに“怖いねえ”とさえささやき合えなかったんだよね。

そしてやっと、ビルバオ空港へ。


とっても小さな(けれどもリニューアルしてきれいになっている)ビルバオ空港にはDのいとこ達が迎えに来てくれていて、車でさらに走る事約1時間。

そこは人口5000人あまり(昔は4000人だったのが増えたらしい)のモトリコという小さな街。
モトリコはDが子供時代の夏を毎年すごした街で、親戚がわんさかいる(というか街の人の半分くらいは親戚とよべそうな勢いだった)素晴らしく美しい港町だ。
Dの祖父がここにアパートを一部屋残してくれたので、Dが一応オーナーということになっているのだが、訪ねて行くのはなんと15年ぶりだそうで、会う人みんなに驚かれていた。
彼のアパートは細長い古い建物の中にあり、このビル全体を親戚みんなで自由気ままに使っている、という不思議な造りになっている。

まず1階は雑貨屋も兼ねているパン屋さんになっていて、Dのおばさん姉妹がやっている。細くて気が強く一生涯独身を通しているロサリートおばさん(79歳)と、たっぷりとした体を揺らしててきぱきと働く卵みたいにつるつるで真っ白な肌をしたロサマリーおばさん。
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パン屋さん入口

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パン屋さんで働くロサマリーおばさん。

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生涯独身を通しているロサリートおばさん。この日道で転んでしまい鼻のまわりが腫れ上がっているのに大の薬嫌いで鎮痛剤を飲まないと言い張ってみんなを困らせまくっていた。

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雑貨屋さん部分。この棚のがらがらさが、いなかの便利屋さんらしい。日本と同じ。

その地下がパンを焼く場所になっていて、そこには昔からずっとここでパンを作り続けているグレゴリオおじさんが今は息子と2人でせっせとパンを焼いてくれていて、そこから建物中にイーストの香りを漂わせている。
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Dとグレゴリオおじさん。夜12時くらいから仕込みをはじめて、朝11時くらいまで働いている。

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古くなったパンはこうしてためてある。たまると粉にして近所の農家に家畜のエサ用に分けてあげるのだそうだ。なるほど!


2階にはみんなが使うキッチンと客用寝室とロサリートの寝室がついているアパートがあり、その上にはロサマリーと旦那さんのペドロの部屋とか、足が悪くてほとんど出てこないおばあさんが住んでいる部屋とかがあるようだった。Dの所有する部屋はここの3階にあり、見せてもらったけど今は物置になっているらしく、なんだか寂しかった。
Dが子供の頃はここに親戚一同が住んでいて、毎日15人くらいでわいわいと一緒に食事をしていたそうで、あまりにもヨーロッパの映画かなにかみたいな光景なので、想像さえできない。食事時になると空き瓶をもって近所のワインやさんにワインを買いに走ったとか、朝はミルク売りがロバの背中に積んだミルクを売りに来ただとか、それはもう、お前年齢を偽っているだろう!とつっこみたくなるような話ばかりだ。

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今ではすっかり寂しくなってしまってこの程度。でもやっぱりランチはみんな仕事から戻って来て一緒に食べるのだというのが、とてもスペインらしい。
そして本当に食事のあとにシエスタ(昼寝)をしていたので驚いた!本当にするんだ!
ちなみに私とDもまねをしようと横になったら、そのままぐうぐうと3時間くらい寝てしまい、起きたらものすごく胃がもたれていた。そしてみんなに
“君たちはシエスタの概念というものが全然分かっていない!”
と叱られ、しょんぼりした。
シエスタは30分くらいのものらしい。確かに、それなら胃ももたれないかも、と身をもって学んだあるよ。

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従姉妹の旦那さんが作ってくれたリゾットのようなもの。パエーリャではないらしい。

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アーティチョークを煮込んだもの。瓶詰めのアーティチョークは安いので、こちらではたっぷりと食べるようだ。
奥にちらりと見えるのは、みんなのアイドル、アイマール君。食べたくなるほど愛らしかった。

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アイマール君とお料理上手のパパ、まだ16ヶ月というのに、うちの甥っ子龍貴より全然大きくしっかりしていてびっくり!
そしてアイマール君は私のことが(というか私の名前が)すっかり気に入ったようで、会うたびにかわいい声で
“プーキー♪プーキー♪”
(名前、違ってるから!)
と連呼してくれた。


スペイン人(というかモトリコの人)は本当に噂通り、朝から晩までバールやカフェをまわって、コーヒーやチャコリ(バスク地方特産の美発砲ワイン)やワインやらを飲んだり、ピンチョスをつまんだりしていた。
特に夕方頃になると、ベビーカーを押した家族連れがバールからあふれそうになるほどで、子供はそこらを走り回り、大人どうしはワインやコーヒーを飲みながらおしゃべりするという光景が、そこらじゅうに見られる。
そして私たちも、日がな一日バールをめぐって“チャコリ!チャコリ!”と叫ぶ日々であった。
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こうして高いところから注ぐのだ。チャコリ!

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そしてまたチャコリ!バールではどこも、この底の広い大きなコップでぐびぐびとワインを飲む。ワイングラスはバスクには存在しないようだ。

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チョリソー。日本で食べるコールドカットのチョリソーはあまりおいしいと思ったことがなかったんだけど、モトリコで食べた熱々のチョリソーは超美味で涙が出そうだった。しかも安いっ!


モトリコという町はとっても単純な造りで、三日月型の湾をぐるりと囲む港の片側のだんだんを埋めるようにして、建物が並んでいる。メインストリートは3本あって、階段状になっている町の上の方には“上の広場”という名前の広場、下の方には“下の広場”と呼ばれる広場があり、それでもう終わりだ。
建物の間をぬうように小道がたくさんあるけれど、どれもちょっと歩くと3本のメインストリートのどれかに出るので道に迷うことはない。
“下におりていく道をたどっていれば、いやでも家に帰ってきちゃうから”
と言われたがその通りだった。
町の人は全員顔見知りで、私たちはちょっと歩いてまわるだけで“XXXさんちの人でしょう!”と声をかけられる。そして1ブロック歩くごとに“親戚の人”と顔を合わせてあいさつすることになる。

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山の上から見下ろすモトリコの港。Dの子供時代は木製の美しい漁船がたくさんあったらしいけれども、今ではほんの3隻、しかも鉄製の船になってしまっていてみんな残念がっていた。まあ、漁師さんにとってはずっと安全になったのだろうけど、あまりにみんなが昔の船は美しかった!と口を揃えてほめたたえるので、子供の頃にここに来なかったのが悔しくなるほどだった。

そしてモトリコの街角。どの通りに入っても、それぞれがおとぎ話のように美しいのにびっくり。
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大きい通りを結ぶようにこんな小さな路地や階段がそこここにあり、迷子になりそうに見えるが、あまりに町が小さいので決してならないのがみそ。
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ロサマリーの旦那さんのペドロおじさん。
今はリタイアして毎日楽しく飲み暮らしている。女系家族の中でこそこそと飲みに出て行こうとする後ろ姿とか、Dが来たのが嬉しくてしかたなくって彼をこっそり飲みに連れ出そうとしているところとか、黒田のおっちゃんとよんでいるうちの叔父にあまりにそっくりでおかしかった。こんなところにも世界共通項を見つけた気が!

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この極寒のなか、泳いでいる人が!
(後できいたら1年中通して毎日泳いでいる人が5人ほどいるらしい)
海が入り江になっているところをちょっと整えてダム状にし、みんなが泳げるプールにしてある。低めのダムなので満ち潮になると水が入れ替わってきれいに保たれるしくみになっている。モトリコの子供達はみんなここで泳ぎを覚えるのだそう。
ちなみに、Dのおじいさんはハイライというスポーツのプロ選手で世界中を巡った後に(だからDのお母さんは中国で生まれている)ここモトリコにたくさんの新しい文化を持ち帰ってきたのだそうで、そのひとつが海水浴という文化だった。
それまでモトリコでは漁師は当然泳げなければいけないので泳げたが、ビーチでピクニックをしたりとか楽しみのために泳ぐとかいう概念はなかったらしい。
はじめは彼が海で泳ぐのを好奇の目で見ていた町の人もしばらくするとそれをまねし始め、そういった幾つもの斬新なアイデアゆえにやがておじいさんは町長さんになったらしい。
うーん、そうやって歴史は動いていくんだなあ、と感心。

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この人も遠い親戚にあたるらしいなんとかさん。
日本ではフランスのイメージが強いベレー帽、実はルーツはバスクなのだ。
なのでバスクでは彼のようにベレー帽をかぶっているおじいさんが町中にあふれている。そして何をかくそう私は20年来のベレー好き。中学生の頃からベレー帽が大好きで、ひたすらかぶり続けているのだ!なんだか嬉しい。ビバ、ベレー帽!

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もうひとつ、特筆すべきは鳥かご。
町のあちこちの窓辺に植木がおいてあるのはヨーロッパどこも共通だと思うのだけれど、鳥かごがこんなにおいてある町ははじめて見た。
部屋の中から窓辺に吊るしてあるというのではなく、街路側の壁にとりつけてあるのだ(夜には屋内に入れてあげるらしいけど)。鳥かごの中に閉じ込められている鳥を見るのはせつないけれど、町を歩いていて頭上からカナリヤの声が聞こえたりすると嬉しくなってしまう。勝手だなあ。

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それにまた、驚いたのはバスクの愛国(?)心。バスクの人って、本当にバスクを愛しているんだなあと思う。
この写真は、なんというかバスク右翼のバー。入口に飾っているバスクの旗に始まって、店内はバスク万歳!って感じ。まあ、なんてことはない、普通の人が普通に集うバールでもあるのだけれど。
バスクでは町の中や道路の標識はすべてスペイン語とバスク語のバイリンガル表記。人々も普通にバスク語で会話しているし、アイマール君の話す赤ちゃん言葉もすべて基本はバスク語だった。(ママのことをアマーチョと呼ぶのがかわいい)
もちろんなかにはIRAみたいにバスク独立を目指す過激派もいるようで、どこまでも平和なこの町で(そもそも町に警察がいないらしいし)、それだけが唯一不穏な話題だったのに驚いた。

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でもそれ以外は、本当にいたって平和。
これは、昔(といってもDの子供時代)ロバにひかせたミルク売りが、ミルクを売る間ロバをつないでいた“輪っか”。もうロバで売りには来ないけれど、輪っかだけが壁に残っている。

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古い建物にはたいてい、こんな小さな扉がついている。私はこれを見つけるたびに
“ホビットホールだ!”
ととびあがって喜んだ。
だってだって、バスクの首都“ビルバオ”ってバスク語だと“ビルボ”になるの!
絶対に、ホビット住んでいたと思うの!
(分からない方はぜひ、指輪物語を読んでくだされ)

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これはモトリコではないけれど、バスクでは有名な観光都市サンセバスチャンまで足を伸ばした時のバールの様子。さすが大都市!(というほど大きくないんだけど、モトリコと比べるとね)モトリコにはない華やかなピンチョスがどこのバールにもずらりと並ぶ。
モトリコに住むいとこが
“サンセバスちゃんのピンチョスはおいしいんだけど、すごく高いのよねー!”
とうっとりと話していたのが、田舎の少女っぽくて(36歳だったけど)とてもかわいかった。
しかし、ピンチョスひとつ1.5ユーロくらいだから、確かにちょっと気をぬくとあっという間にいい値段になっちゃうかもねー。

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これもサンセバスチャン。この美しい建物の上にどどーんと座る赤い鼻のおっさんは、バスク版(スペイン版?)サンタクロースだそうだ。
バスクでは赤い服白いひげのサンタクロースではなく、このほろ酔い顔のナントカおじさん(名前忘れた)がプレゼントを持って来てくれるらしい。そういわれてよく見ると、町のあちらこちらにこのおじさんの人形があふれている。あまりにただのおっさんだからきがつかなかったよ。なんだかありがたみがない気がする私は、現代的商業主義にしっかりと操られている?

しかし本当にモトリコは小さなかわいい街だった。
夜12時くらいまで、12~13歳にしか見えない子供たちがコカカウ(スペイン版のネスクイックみたいなの)を飲みながらバールにたむろしていたりして、大丈夫なのかと心配していたら、あまりに街が小さすぎて、どこで何をしていたか全部大人に筒抜けだから大丈夫なんだそうな。
そうか、昔の日本もこうして、大人の目がすべての子供に行き届いていて、みんなでみんなの面倒を見ていたんだなあ、と思った。お互いに知らない事はなにもなくて、きゅうくつだけど気取らなくて。近すぎてつらいこともたくさんあるのだろうけど、離れたら寂しくてしかたなくなるような、そういう息苦しさを分け合った人どうしにしか感じないじっくりとした温かさがここにはある。

私も子供時代を毎年、愛媛の祖父母のところですごしていた。夏休み第一日目から、8月31日までのめいっぱいを、愛媛のものすごい、それこそ気の遠くなるような田舎ですごした。いとこがたくさんいて、どこにいっても親戚がいて、親戚の顔も名前も覚えられないのに向こうはこっちのことを知っていて、従姉妹が集まると合宿みたいな大人数で1日3回の食事をするので、自然と大きい子供は小さい子供の面倒を見て。
都会の核家族で育ったはずの私が、そんな生活を原風景として持っているのを、とても幸運なことだと思っていた。
そして偶然にもニューヨークのブルックリン、しかも母子家庭で育ったはずのDが、ものすごく似た原風景を持っていたことに驚いた。
不思議だなあ。

スペインの家族に囲まれて、見た事ないほどにリラックスしてにこにこしているDが
“私にとって、これが家族というものだ”
と誇らしげに私に言ったとき、ああ、分かる分かる!と思った。この感じ。
こういうものを、心の中に体験として持っているか持っていないかで、人生の目標の定め方とか、人間への接し方とか、そういうものって見えないところで大きくずれていってしまうと私は思うので、こういう部分を分け合えることが分かってとても嬉しかった。

モトリコでは毎年夏に、牛追い祭りあるそうだ。その時期にはバスク中から観光客が訪れ、人々は1週間ほど毎日チャコリやワインを飲み暮らすらしい。
そうそう、モトリコは最近夏のリゾート地として少しずつ有名になりつつあり、街で唯一のホテルも建設されたのだと、従姉妹のエスキーデが誇らしげに教えてくれた。そしてタクシーだってなんと3台もあるそうだ!
(はじめは We have 3 taxi! というのを、タクシー会社が3社もあるのかと思ったが、よくよく聞くとタクシーの看板を掲げている人が3人いるということだった。しかも特に宣伝もしてないし流したりもしていないので、その人を知っている必要があり、電話してあいてたら来てもらうというものらしい。)

次回はぜひ、この牛追い祭りに合わせて夏に訪れたいもものだねえ、と熱く語りながらバスクを後にした。
しかし今回で2度目のスペインなのに、前回は友人の住むオビエド、今回はモトリコ、と、ものすごい偏っているんですね、私。普通の日本人は誰も知らないでしょう、この地名。
いつか、バルセロナに行きたいと思っているんですけどねえ…。











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PROFILE:
慶応義塾大学文学部卒業後、出版社勤務、オーストラリア留学、広告代理店勤務を経て2007年にトルコにダンス留学。プロダンサーになって現在に至る。中学高校と続けていた新体操をベースに、ダイナミックでジャンルにとらわれないダンスパフォーマンスを目指す。
2004年より都内を中心として活動。2011年に岡山市内にベリーダンススタジオ Chez Yasmeen Okayamaをオープン。2013年に東京・麻布十番にベリーダンススタジオ Chez Yasmeen Tokyoをオープン。2015年に第1子出産。2015年に岡山校をクローズ。
現在は麻布十番のスタジオを拠点として、レッスン及びショー活動に励む。
産後はママのための子連れベリーダンスクラスも積極的に開講。産後もますます輝くママたちを応援しています!


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